そら子の徒然帳

思い付いたときに、思うままに、書き留めたいものを書きます。

どうして 書く?

こんにちは~
そら子です。

更新がのんびりペースすぎる、、(  ̄- ̄)



今回は、私が言葉を書きたい理由について。

これは、時折自問自答する問題でもあります。


ひとつ、まとめておけば ふと立ち止まったときに
自分の指針にもなるかな、と思い 書かせていただきます。



なぜ書きたいのか、と言えば

『私はことばに救われてきたから』

これが最大の理由でしょうか。



近々まとめたいと思っているのですが、
『明日の子供たち』有川浩
にも、似たようなフレーズがあります。

これを読んだときに、私は自分が間違っていなかったなあと思いました。


キンモクセイではなく、私は【林檎】を知らなかったーそう感じた10代のあの頃。





私は高校生の頃、図書館委員会なるものに携わっていました。

図書館の先生は柔らかな雰囲気をもった、優しいひとで
やんちゃ坊主から真面目女子まで、みんな好いていました。

定期的に「図書館だより」を発行しており、
図書館委員のメンバーも、記事の作成を行います。

そこで、委員会のメンバーたちは各々本を読み、
その本を短い文章でまとめあげたのです。

その当時、私は『悼む人』天童荒太著 を読み、
キャッチフレーズのような短い言葉でまとめました。

何度も図書館の先生にダメ出しを食らいつつも、
「何度も添削を繰り返すと 言葉が洗練される」
と、言ってもらったことを思い出します。

すごく嬉しくて、才能が無いなりに認めてもらえた気がしました。

その経験があるから、言葉を紡ぐのも楽しくなったのかもしれません。




もうひとつ、芸術の鮮やかさみなぎる下町に住んでいた頃。

散歩していた時、あるギャラリーにふらりと立ち寄り
そこに画廊していたアーティストさんと出会ったこと。


作品について話し、「君はなにか表現をするのか?」と聞かれ
「私は言葉を書くことがすきで」と応えました

「いつか、どんな形でもいいから発表したら?」




そんな言葉たちを何年も心に留め、やっと機が熟したのかなあ、と思います。



誰しもがことばとは離れて生きてはいけないものですが
私にとってひとから貰った言葉は
とてもとても、大事な宝物になっています。


そう思いながら、また、書きます。