そら子の徒然帳

思い付いたときに、思うままに、書き留めたいものを書きます。

『ファーストラヴ』島本理生 著

久しぶりに、波に呑まれた。

ひとつ前に読んでいたのが『家族の言い訳』、そしてこの『ファーストラヴ』。

私にとってこの2冊の波は、何年もかけて整理して積み上げた積み木を、横からジェンガのようにひとつずつ抜いていくかのようで
読了後にはほのかなあたたかみと、なんとも言えぬ怠さを残した。

勘違いしないでもらいたいのは、この2冊が否定したいほど良くなかったわけではない。

ぐっと引き込まれて、自分のことのように感じてしまうほど、リアリティーだった。
そして、どちらにも救いがあった。
それが、私にとっても、救いになった。



臨床心理士の主人公由紀は、父親を殺した殺人事件の被告人である少女、環菜の本を書くことになった。
彼女は、被告人の国選弁護人である迦葉(かしょう)と協力しながら事件の真相に迫っていく。

とはいっても、これは単なるミステリー小説ではない。


それぞれの登場人物が抱える闇、見えない感情が言葉に、文字になっていく。

絡まった紐がゆっくりとほどけるように、少しずつ明らかになる。

それはまるで、ひとつのヒューマンドラマのように思えた。


被告人である環菜の身に起こった出来事を、臨床心理士として整理しながら、由紀自身も自らの過去を整理していく。

クライマックスは、心優しい由紀の夫、我聞にそっと抱きしめられて眠るような、そんな心地よさがあった。




過去は変えられない、変えるのは今だ。自分自身だ。

読んだあとに、そんなことばを思い出した。

ある場面で、由紀が
『大きな声で泣きたい、とふいに思った。赤ん坊のように泣いて滞った感情を発散してしまいたい。だけど…(中略)奥底に沈んだ。泣くにも若さや体力が必要だと悟る。』(55頁)
と思う。

私も、10代の頃や20代前半は、よく泣いていたなと思い返す。

泣いて何かが変わったのか…
あまり覚えていないけれど、
20代の後半に入ってからは、こんな先輩の一言も、思い出している。

「20代になるとね、変えられないことで泣くことになるから、今は泣きたいだけ泣いておきな」

時折、その言葉の意味を考えている。


以前は、自分のこと、自分のすぐ近くの人たちのことで泣いていたのに
今は、自分のために泣くことは少なくなってきた。自分と社会との狭間で、今までより大きなコミュニティの中で、自分の気持ちの蓋を押さえきれなくて、泣くことが多くなってきたように思う。

はたまた、由紀の言うように、若さも、体力も無くなってきたのかもしれない。



自分という器の中に、まだ解決できない蟠りや、絡み付いた糸があったとしても、それはそれでいいのかもしれない。

今という現実、社会というフィールドを歩くなかで、それが自分を苦しめることもある。

私自身はそれを、良くないことだと否定してきたけれど
今までの自分があってこその、今なのだから、それでいいのだと思う。

いつか、どこかのタイミングで、なにかに救われる日が来る。

そう、前向きになれる一冊でした。


【書籍情報】
『ファーストラヴ』
島本理生
文藝春秋、2018年

ナイト~脱げなかった鎧の秘密 ロバート・フィッシャー著

「日常を言葉にする」「今感じたことを表現する」って、

いつからやらなくなったんだろう。

やらないのか、出来ないのか、難しいのか、
表現しなくても 溢れ出て来ずどうしようもなくなることが少なくなったのか。



先日、ずっと買おうか迷い保留にしていた『ナイト』を購入。

確か大学時代に読み、ずっと心の片隅に引っ掛かっていた一冊。

探していたけど、本屋さんじゃ中々会えなかったのだが、
ふと Amazonで検索したらすんなり出会えた。
便利な世の中になったもんだ。


そんなこんなで、何年ぶりかに「ナイト」を読んだ。


『Have you mistaken need for love?
「必要」と「愛」を、勘違いしていないか?』(107頁)

その言葉を、初めて読んだときから考えていたのかもしれない。

***

一国の騎士であるナイトは、国のために、困っている人々のために
鎧を見に纏い闘う。
そんな自分が、きっと彼は好きなのだ。

彼の妻と息子は、いつの間にかナイトの素顔さえ忘れ
肖像画を見て思い出している。

ある日、ナイトは妻に『あなたは私を愛していない、救うことが好きだったのだ』と言われてしまい
鎧を脱ぐことを試みる。

しかし、なにをやっても鎧はびくともしない。

引っ張っても、叩いてもなにをしても脱げない鎧。

危機感を覚え、ナイトは頼みの綱である魔術師に会いに、森を探すことになる。

なぜ鎧は脱げないのか。
このままではダメだとわかっているが、どうしたらいいのか。

ナイトが悩みながら、苦しみながら、
リスや鳥や魔術師と共に、
鎧を脱ぐための、そして自分を見つめるための物語。

***

『Have you mistaken need for love?
「必要」と「愛」を、勘違いしていないか?』


さて、
初めて読んだ時から引っ掛かっていたこの一文。

この物語の一つの核ではないかと私は思う。


以前は、「頼る」と「甘える」の違いもわからなかった。

「頼る」のは出来ないことを他人にお願いすること
「甘える」のは出来ることを他人にお願いすることだと

のろのろと、宛てもなく自信もなく低空飛行を続けていたときに
お母さんみたいな先輩が教えてくれた。

今ならわかる気がする。


自分のために他人を必要とするーー

というのは

自信がないことを隠そうと、必死になりながら
取り繕って不安から逃れようと

自分のことだけに目を向けているだけだと
なにも変わらない、
大切にしていたはずのものも失ってしまうこと。


ただ、それを知った今は
なんてことはない。

「知る」ことが大切。
そんな自分を、「受け入れること」が大切。


今ある自分の気持ちに、自分の身体の声に、
なるべく耳を傾けよう。

時間の流れや、多くの情報、いろんな感情に惑わされぬよう
ゆったり、ずっしりと
なるべくその日の私をその日のうちに
きちんと受け止めてあげる時間を作ろう。

そんなふうに、改めて感じた作品。



【書籍情報】
「ナイト 脱げなかった鎧の秘密」
ロバート・フィッシャー 著
松浦 健一 訳
2002年 アスペクト

『明日の子供たち』有川浩 著

【書籍情報】
『明日の子供たち』有川浩
2014年 幻冬舎


【読書後の感想など】

私がこの本に出会ったのは、福祉の専門学校に、夜間通っていた頃。

昼間は掛け持ちでアルバイトをし、そのなかの職場の一つ ある職員さんが貸してくれました。

それから何年も経ち 読み返しました。

きっと その時と
響く言葉たちは大して変わらないのだろうな、と。

以前とは違う、学生ではなく社会人として、
住んでいる場所もライフサイクルも異なった環境ではあるのに

感動した場面も、刺さった言葉も、
また、なぞって それはそれで楽しく読みました。




『明日の子供たち』では、
児童養護施設を舞台に、新米職員として入ってきた
主人公三田村が子どもたち、時には先輩職員とぶつかり
傷つけあい、泣いたり笑ったりしながら 成長していきます。


小説のなかの子どもたちには、大人びた子もいます。

大人にならざるをえなかった、そんな子どもたちの背景を
有川浩さんによって、
まるで目の前にその子がいて、
伝えようともがいているように
垣間見ることができます。



新米職員の奮闘を見ながら、
クスッと笑える場面もあり。

うるうるっと、じーんと心に響くこともあり。


そのなかでも、
私がこの小説で救われたこと。

施設長が、子どもに送った言葉。

『みんな自分の人生は一回だけなのに、本を読んだら、本の中にいる人の人生もたくさん見せてもらえるでしょ。』(86頁)

そのことを、「素敵だ」と言ってくれる施設長。


なんて、なんて素敵なんでしょう。

私も 本を読むことで誰かの人生の一部分に似ている、
気持ちを教えてもらったり
学んだりする。

施設長にそう言われた本人、
そして私まで認められた気持ちになりました。

様々な本の詰め合わせ、良いとこ取りで
私という人間が成り立っていれば良いな思います。





今までも、これからも、
この小説を読むなかで、どれほどの人が
児童養護に関心をもってくれるでしょう?


一つの小説としても、様々な言葉が散りばめられていて
読んだ後には心がふわっと軽くなります。

また明日、現実を見るのは気が引けてしまうこともありますが、
頑張ろうかな、と思える作品でした。






こうやって文字にすることで、こんなちっぽけな私でも
誰かひとりにはこの想いが届くことを知っているので
出来ることをやっていきます。

だから、また、書きます。

どうして 書く?

こんにちは~
そら子です。

更新がのんびりペースすぎる、、(  ̄- ̄)



今回は、私が言葉を書きたい理由について。

これは、時折自問自答する問題でもあります。


ひとつ、まとめておけば ふと立ち止まったときに
自分の指針にもなるかな、と思い 書かせていただきます。



なぜ書きたいのか、と言えば

『私はことばに救われてきたから』

これが最大の理由でしょうか。



近々まとめたいと思っているのですが、
『明日の子供たち』有川浩
にも、似たようなフレーズがあります。

これを読んだときに、私は自分が間違っていなかったなあと思いました。


キンモクセイではなく、私は【林檎】を知らなかったーそう感じた10代のあの頃。





私は高校生の頃、図書館委員会なるものに携わっていました。

図書館の先生は柔らかな雰囲気をもった、優しいひとで
やんちゃ坊主から真面目女子まで、みんな好いていました。

定期的に「図書館だより」を発行しており、
図書館委員のメンバーも、記事の作成を行います。

そこで、委員会のメンバーたちは各々本を読み、
その本を短い文章でまとめあげたのです。

その当時、私は『悼む人』天童荒太著 を読み、
キャッチフレーズのような短い言葉でまとめました。

何度も図書館の先生にダメ出しを食らいつつも、
「何度も添削を繰り返すと 言葉が洗練される」
と、言ってもらったことを思い出します。

すごく嬉しくて、才能が無いなりに認めてもらえた気がしました。

その経験があるから、言葉を紡ぐのも楽しくなったのかもしれません。




もうひとつ、芸術の鮮やかさみなぎる下町に住んでいた頃。

散歩していた時、あるギャラリーにふらりと立ち寄り
そこに画廊していたアーティストさんと出会ったこと。


作品について話し、「君はなにか表現をするのか?」と聞かれ
「私は言葉を書くことがすきで」と応えました

「いつか、どんな形でもいいから発表したら?」




そんな言葉たちを何年も心に留め、やっと機が熟したのかなあ、と思います。



誰しもがことばとは離れて生きてはいけないものですが
私にとってひとから貰った言葉は
とてもとても、大事な宝物になっています。


そう思いながら、また、書きます。

羽織を着てみました!

先日は

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こんな感じで洋服に羽織を着てみました!

 

私は身長があるので、リサイクルで購入したものだと
中々裄や丈が合わないことも多いのです

この羽織も少し短めなので、
これを買った店員さんのオススメ

洋服の上に羽織を!を実行してみました◎

 

普段は正統な着方を好んでいるのですが、
こういう着方も有りですね…!

 

出先でおばさまに「あら、お洒落じゃない」と
褒められ、ホクホクした気持ちで帰ってきました♪

着物リメイクバッグ

こんにちは(^○^)

真夏のような日が続きますね…

さて、こちら
母が作ってくれた着物リメイクバッグです。

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来月同僚の結婚式がありまして

実家にある母の色無地を着るつもりなのですが、
着物用の小さいバッグたけだと荷物が入らない…!

と相談したところ、
以前着ないだろうな~と思い母に譲った(流した)道行を
リメイクしてくれてサブバックに!


水引きアクセサリーにハマっているらしく、
水引きブローチもついてます◎


そしてさらに

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水引きのピアス


パールがついているので、結婚式にもってこい(^^)


なんとまあ、器用でうらやましいです!

単衣の季節。

さて!今回は着物に関しての記事を書いてみようと思います。



先日の着物Dayは

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こんな感じでした。




今回、単衣が淡いピンク寄りの紫色だったので、
濃い紫色の半幅帯を締めてみました。


ちょっと暑かったので、麦わら帽子を被ると、
先取り感はあるののの、「the 夏!」という雰囲気に。


とっても天気の良い日でお散歩をしたので、日差しを背に受け
とっても汗をかきましたが、木綿は自宅で洗濯できて楽チンですね(  ̄▽ ̄)



個人的には 着物以外でも帽子が好きなので、着物でも帽子が合うと
とっっってもホクホクしてしまいます♪


たまの休日、着物Dayにするとテンション上がります!!!!!


コーディネート、着付け、そして写真の撮り方、、、
いろいろと学んでいきたいと思いますヾ(@゜▽゜@)ノ


※追記

着物の衣替えは、本来6月と10月に行われます。【10月~5月(袷)、6月と9月(単衣)、7~8月(薄物)】
現在の気温を考えると、地球温暖化などで5月に袷を暑いため、衣替えが早く(また、10月でも暑いときは単衣)等柔軟な解釈をされることも多いようです。
そのため、こちらの記事では「単衣の季節」と表現させていただきました。

【参考文献、HP】
・『大正ロマン着物女子服装帖 ポニア式コーディネート術』大野らふ 著